2006-03-31
BEP on KNOPPIX
明日はCZD氏宅でWindows Vistaのインストール大会。私はARGVというaccesibility関連団体に所属しておきながら、なかなかperformanceが上がっていなかった。ので、Billingual Emacspeak(BEP)をKNOPPIX上で動くようにする作業を今日行った。多少の手直しが必要だが、ほぼ完成。
明日の午前中までに手直しが終われば、CZD氏にレビューしてコメントをもらう。 せめてOraluxの日本語版として使えればいいか。でも使ってくれる人いるのかなぁ。 BEPのユーザ自体、国内に、いや世界に数人しかいない。 まぁ私が楽しければそれでいいか。別にどっかから予算をもらっているわけじゃないし。 学生最後の一日は、accesibilityの仕事で終わった。
2006-03-27
学生廃業
25日は朝から上野の東京都美術館でプラド美術館展を鑑賞。時代が時代だけに宗教画と王室関連の絵ばっかり。なんか宗教画のほうが気合いが入っている気がするのは気のせいか。 だいたいライティングからして違う。
午後からは卒業式。これが最後の卒業式になる。大学には入って3回目の卒業式だ。武道館に行くと人が多いのであまり行きたくないのだが、最後なので武道館の卒業式から参加。 今回の来賓は、NHKのチーフアナウンサの畠山智之氏。NHKニュース7、ニュース9のアンカーだ。終わった後校舎に移動して学位授与式がある。少し時間があったので、歩いて移動。神田の古本屋街で立ち読み、とりぱんの単行本、ウルトラ・ダラー等の買物をしていたら見事に遅刻してしまった。学位授与式では博士後期課程修了者は学部長から直々に学位記を授与されるのだが、私が駆け込んだ時には修了生起立の指示の直後だった。なんとか間に合い学位記をもらった。隣だった宇宙のN氏曰く「もう来ないのかと思った」 ははははは(乾いた笑い)
これで終わりではない。教室に移動し学位伝達式がある。これは主に修士課程の学生向けのイベント。ここでは修士の修了者に学位記が授与され、学生証を回収といったいくつかの事務的なことをする。どうやら卒業しても大学の図書館は使っていいらしい。すばらしい。これで卒業に関する行事は終わり。
夕方から研究室のI君とN女史がお祝いということで、神楽坂の店に招待してくれた。 なかなかセンスのいい料理。タケノコがうまかった。うちに帰ると、その日ほとんど寝ていなかったせいか爆睡。昨日も一日中寝ていた。なので今は体調がいい。
そろそろ年次報告を書き始めることにする
2006-03-23
御嶽山移動
一昨日から一泊でPAQ氏と御嶽山の貸別荘で移動運用を行った。今回利用した貸別荘は、無線のアンテナが常設されているというスグレモノの貸別荘にもかかわらず、一人一泊3000円という大変リーズナブルな値段で利用できる。アクセスも御嶽山登山鉄道御嶽駅のすぐそば。 この貸別荘は2階建てで8人収容でき、電気、食器、空調、風呂、トイレ、布団が常備されている。 なにもかもすばらしい。と思ったが、常設されているアンテナはどれもSWRが5を超えており使えなかった。コネクタが雨で腐食していた。おそらくこれが原因だろう。 アンテナを立てるスペースが少しあり、そこに7/21MHzの自立ダイポールを立て、2階のベランダから50MHzのツェッペリンアンテナを垂らし、ベランダに144MHzと430MHzのヘンテナを設置した。 スペース的にHFのアンテナをあと一本は立てられるかな。ただ干渉するだろうなぁ。
今回は、大都市コンテストに参加がてら、4月にあるコンテストの下見が目的。 大都市コンテスト参加者があまりにも少なく、適当にQSOして、住環境は快適だったせいか夕食を摂ったら寝てしまった。 無線環境としてはロケーションは良いのだが、設置されているアンテナを期待していくと確実に後悔することになる。 下見しておいてよかった。近々、この貸別荘の状態を詳しくまとめたものを公開する予定。
2006-03-15
とても休めない
3月は学生最後の休みを悠々と過ごすつもりだったが、ボスはやはり許してはくれなかった。 明日、明後日に開催されるシンポジウムで発表して、今月中に年次報告を提出しなければならない。 18日はOpenSource Conference 2006に参加の予定。週明けは4月のコンテストで使用するロッジの下見。あぁ4月の頭には2アマの国家試験もあった。まずい。あんまり勉強していない。 こう見ると忙しいといっても半分は趣味か。まぁこれはこれで健全なのかもしれない。
2006-03-10
Fedora Core 4
訳あって、EGS4というシミュレータのRPMパッケージを作るハメになってFedoraCore4をインストールしている。 First Impressionは「悪くないなぁ」 Installしたばかりなのでよくわからないが、Desktop用途なら全く問題なさそうな印象。 インストールは楽だし、見た目もかわいいし、日本語も普通に使えるし。 SELinuxがDefaultで有効なのも御洒落。 Install DiscでBootする時に、Bootパラメータにresolution=1024x768を指定しておくと、1024x768でXを自動的に設定してくれる。
ただインストールにCDを4枚用意しなければならないのは、いただけない。 せめて途中で選択できるInstall Typeくらいは1枚目だけでInstallできてほしい。 DebianでNetwork Installに慣れた人間には、CDやDVDのイメージを長々とダウンロードするのは我慢がならない。インストールしてわかったのだが、RescueイメージからBootするとNetwork Installができるらしい。FedoraCore5では、Network Installが本格サポートということなので、期待したい。てかおせーよ。
このパッケージを明日までに作らなければならない。間に合うかな。
2006-03-06
終電がなくなった
今日のFlightは、以下のとおり。
- SKY018 B6-300ER
- Spot 1
- 2200 Door Close
- 2201 Push Back
- 2205 Taxing
- 2208 Take Off RW16
- FL 370
- 2308 Heading to Kaiho (Asahi Night North NR2 Arrival)
- 2315 Gear Down and Intercept HND VOR
- 2318 Touch Down RW34R
- 2324 Spot 24
使用機材到着遅れで、30分以上出発が遅れた。紀伊半島上空で家までたどり着かないことに気づく。 まぁこんなギリギリのスケジュールを設定した私が悪いのだが。 ということで行ける所まで行って、T駅前のインターネットカフェでこの記事を書いている。5時に始発が出るのでそれまで時間をつぶしている。
2006-03-05
失われた技術の回復
昨日は少し寝坊して母校に着いたのは12時を少し回った後だった。PAQ氏はQSOを楽しんでいる。中学生達はゲームで遊んでいるではないか。 電車の中で受信したPAQ氏からのmailでは、前日に出した課題を議論するためにノートを買ってきており Knoppixも自ら起動したということだった。私が着く頃には喧々諤々の議論が白熱していると思っていたのだが....ノートには一ページだけ何かが書かれていた。 それを見るに何をしなければならないのか、何を議論しなければならないのか判っていないようだ。 自分達に知識がないことを言い訳にして何もしようとしない。ということで近くにある図書館に連れて行く。ロボット作りの入門書をPAQ氏が見つけ、それを教えてやると黙々と読んでいた。 あの手の入門書には作成例が載っているので、何をやるのかイメージがつかみやすい。 これでイメージを掴み、我々が去った後に自立して手を動かすか。これに部活の命運がかかっている。
部活の活動が数年間行われなくなると、技術の伝達が行われなくなる。 新人が興味を持って入部してきても、技術を持った人間が部活にいなければ、何をしていいのかわからない。何から始めていいのか、何をしなければならないのか、まったくわからない。 失われた技術を回復するというのは、この段階から始めることを要求される。 だからその技術を持った指導者が必要だ。部活ではその立場にあるのが先輩である。
日本が戦後トランジスタの研究を始めたときもこうであったに違いない。 海外の論文や雑誌を読み漁り、議論していたことだろう。そして高い金を払ってアメリカに人を送って学ばせた。今回の地元での滞在でつくづく感じたのは、失われた技術を立て直すことは本当に大変ということだ。 そして技術の継承を断ち切るのは本当に簡単だ。本当にそう思った。
2006-03-03
中学生の頃
昨日、今日と母校の中学生に会った。若いし何も知らない。 少し何かを教えると、興味のありそうなことはスポンジが水を吸収するように覚えていくのだろう。 なんかロボットを作りたいと言っていたので、ひとつ課題を与えた。 今日話したことは、今のところ彼らにとってただの面白い話だけだっただろう。 ただ面白い話を聞いただけになるか、面白いことを体験することになるか、彼らの明日の反応でわかるだろう。
部室のハードウェアは、意外にも問題は少なかった。ちゃんと使える状態だ。
建物も、デザインはともかくこちらにとって都合のいいものだ。ありがたい>殿下
しかし計算機が充実していない。Windows98が動くPCが2台、XPが動くPCが一台。
現代っ子には不十分なスペック。プログラミングをやりたいと言っている部員がいるが、コンパイラもインタプリタもなさそう。ひとまずKnoppixを持っていってやった。これでHello World位は書けるだろう。
ひとまず種は蒔いた。滞在は明日までなので、水や肥料をまく事はできない。
芽吹くかどうかは彼ら次第だ。
同行したPAQ氏に精神的に余裕がないのではないかと、私が懸念していることを伝える。 少し堪えたようだ。なんかエラソーなことを言ってしまった。少し反省。
2006-03-01
地元に帰る
昨日地元に帰った。羽田で私が搭乗した飛行機が滑走路34Lまで行ったのに、反対側の34Rに移動させられてしまった。平行滑走路なのにどーして替えるかな>HND Ground.
B滑走路に替えるならともかく。その後は順調にFL280(多分)で飛行。20分遅れで到着。
現地空港で同じFlightだった友人のPAQ氏と合流し途中まで帰る。
地元に着く前に友人のFNA氏と一杯飲む。久しぶりの飲み。やっぱり彼と飲むと楽しい。
Glenfiddich 12年をロックで二杯。はしごして、餃子と日本酒を3合。
今日は昼過ぎに起きて、市役所へ。転居届けの提出と年金についての相談。 就職すると共済年金に入るので、国民年金受給資格を失うので払わなくていいと言われた。 うちの研究室のPDの人は国民年金を払っているので、PDは共済年金に入れないのかな。要確認。
この後PAQ氏と国立博物館へ行く。彼の薀蓄が聞けそうだ。
このblogは、http://www.argv.org/~chome/blog/noisefactory/に移転しました。
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