2007-05-04

鶴川の武相荘に行ってきた

いくら憲法制定60周年でも白州次郎なんてほとんど誰も知らないだろうから、旧白州邸である武相荘に行く人がいないだろうと油断していたら甘かった。白州次郎の夫人は白州正子だったのだ。完全に忘れていた。なのでおばさま方が(連れてこられたと思われるおじさま方も)年中いてもおかしくないのだ。実際たくさんいた。みんな見るとこ違うよぉ。ロビンからもらったウィスキィの樽とか、次郎が作った工具箱とかしれ〜っと置いてあるんだから。オリベッティのタイプライタとかもいいけど、ジープウェイレターだろ。写真はここ

さて武相荘がある鶴川はなかなか良いところだった。大手町から電車で1時間くらいだし、丘陵地帯だし。Country Gentlemanには絶好の場所だったろう。そういえば自称都会人は都市に棲みたがるものだが、豊かな人間はHillに住むもんなんだよ。(多少脚色あり)と高校の頃の英語の先生はおっしゃっていたのを思い出した。

国立公文書館の憲法に関する展覧会に行った。大日本帝国憲法と日本国憲法の御名原本などが公開されていた。大日本帝国憲法は枢密院と書かれた紙に、日本国憲法は内閣と書かれた紙に記されていた。ぐっときたのは、第一回国会召集の詔書。

朕は日本国憲法第七条及び五十四条並びに国会法第一条によって、昭和二十二年五月二十日に、特別会を東京に招集する。

天皇は日本国憲法及び法律に拘束されるようになったんだなぁと、ふと思った。傑作なのは入り口でもらった展示資料。これに

昭和二〇年一〇月四日、連合国軍最高司令官マッカーサーは、近衛文麿国務大臣に、憲法改正を示唆しました。

とある。そうか示唆したのか。まぁGHQは近衛草案を無視したし、憲法改正を指示していたらウィーン条約違反だからねぇ。

これで連休中にやろうとしていたことは、すべてやった。明日からは仕事関係のことをやる(だろう)。

April 1956





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