2007-04-01

認識と信仰

私が通った幼稚園は禅宗のお寺だった。高校はプロテスタント系だった。なので宗教には思い入れがない。父の危篤の知らせを受け、地元に戻る途中の機内で「天にいまします....」などと(一行分しか知らない)主の祈りを頭の中で唱えていた(まぁ人間が弱ったときに近づいてくるのは悪魔ではなく、神だということか)にもかかわらず、看取った後は仏壇の前に正座して手を合わせていた。この時は「節操ねぇなぁ」と本気で思った。

今夜は眠れなくてザ・ホワイトハウスの第一シーズンを見直している。第一シーズンの名作のひとつ「安息日」だ。死刑問題がテーマの話。ある死刑囚の死刑執行を認めるかどうか迷う大統領と、死刑囚を救おうとする補佐官達の話だ。どうしても宗教がでてくる。悩みぬいて死刑執行を承認した大統領は、少年の頃通っていた教会の神父に、神は無慈悲だと不満を述べる。そこで牧師がした話がぐっとくる。

君を見ていると川の側に住んでいた男のことを思い出すよ。彼は無線で連絡を受けた。
「川が氾濫して洪水になる。だから付近の住民は全員避難するように。」
だが彼はこう言った。
「私には信仰がある。神に祈れば助けてくださる。」

水位は上昇し、そこへボートに乗った男がきた。
「おーいちょっと。そこのあんた。逃げないと溺れ死ぬぞ。避難所へ行こう。」
だが男は怒鳴り返した。
「私は神に愛されている。神に祈れば助けてくださる。」

上空にはヘリコプタが飛んでおり、メガホンを持った男が叫んだ。
「おい君、そこの君。洪水に押し流されるぞ。はしごを下ろすから、安全な所に行こう。」
だが男は怒鳴り返した。
「私は神に愛されている。神に祈れば安全な所につれて行ってくれる。」

そして、男は溺れ死んだ。
その後天国の門前に立ち、彼は神に面会を求めた。そして言った。
「私はあなたに祈りを捧げました。愛されてると思っていた。どうしてこんな目に遭うんです。」
神は言った。
「私はあなたに無線連絡と、ボートと、ヘリコプタを差し向けた。なのになぜここにいるのか。」

私は社会現象や自然現象は人間が認識することで、その現象が存在しているかが決まると考えている。目の前で世紀の大発見の現象が起きていても、その現象を見つけて大発見だと認識しなければ、その現象は起こっていないのと同じだ。

人間が認識することによって存在する神仏はお告げをくれたり、目の前に札束を積んでくれたりはしない。でも
「洪水で逃げ遅れた時に、ボートが助けにきてくれた。これまでいいことしてきたから神様が助けてくれたんだね。」
とそれまでやってきた悪事を棚に上げて神の思し召しと認識すればそれは当人にとってそうなるし、そのくらいで良いと私は思う。

この第14話「安息日」はとても良い話だ。私が好きなジョーイ・ルーカスが初めて出てくる話でもあるし。ザ・ホワイトハウスはシリーズ通しても非常に出来の良いドラマだ。おすすめする。だが韓流ブームのおかげでシーズン4からNHKでの放送が止まっているのは非常に残念なのだが。






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