2006-07-16
創造性を欠いた日曜日
今日は午前中買い物に出て、3時ごろ帰ってきて昼寝をしていた。気がついたら8時だった。 ユザワヤでキャタピラを、くまざわ書店でマンガを数冊、あとユニクロでシャツを何枚か買った。久しぶりに半袖のシャツを購入。
数日前に読んだダーリンコラムに、ちょっと考えさせられた。以下に引用する。
いまさー、インターネットで、 「みんな」がいろんなことを言うようになったわよね。 言える場が、昔はなかったんだから、 あたしのこの話だって、ここだからこそ掲載されてるのよ。 でも、気付かない? ホームページでも、ブログでも、ミクシィみたいな場でも、 だいたいが、 「まず誰かがつくったもの」について発言してるの。 どのくらいの割り合いだろ? 90%くらいかしらねー。 そんなにはないかな。 日記もすっごく多いからね。 だけど、日記のなかでも、やっぱり 「まず誰かがつくったもの」についての発言が多いわよ。 なにかを見た、なにかをした、なにかを買った、 なにかを読んだ、なにかに怒った‥‥。 それが、『嫌われ松子の一生』っていう映画だったりさ、 『志の輔の落語』だったりさ、 『レミオロメン』だったり、『デスノート』だったり、 いろいろなんだけどね。 誰かがつくったなにかなのよ。 それをめぐって、感想やら批評やら批判やらが、 一気に無数に立ち上がっているというのが、 いまのインターネットのなかで展開されている 「みんなの発言」だっていう気がするのね。 「最初のなにか」になるような、 作品というのか、創作というのか、オリジナルというのか、 そういうものは、実はあんまり多くないのよね。 (ほぼ日刊イトイ新聞 ダーリンコラム 「ジョアンはうれしかったのね」 2006年6月12日より一部引用)
この文章を読んだ時、ものすごく衝撃を受けた。 どうして衝撃を受けたのか、まだ整理ができていない。 整理ができたら、その結果を書こうと思う。
明日は夕方から都内で食事会があるので、その前に最近修復された岡本太郎の壁画「明日の神話」を見に行く予定。論文の進捗は50%。
このblogは、http://www.argv.org/~chome/blog/noisefactory/に移転しました。
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