2005-06-26

デジタルデータの歴史的耐久性

新シルクロード展を見てきた。 楼蘭の木棺は木を削ってつくられたものだが(あたりまえ)その表面が滑らかだった。 切れ味のいい道具を使ったと思われるのだが、当時金属はあったのだろうか。 歴史の知識が無いのでよくわからないのだが。

嬰児のミイラは小豆色の布にやさしく包まれていた。 本当に愛されていたんだなぁ。その子がこの世を去って二千年ほど経っているが本当にそう思えた。

展覧会を見ていてふと思った。 デジタルデータは劣化に強いと言われるが、歴史的に見て本当に強いのかと。 私は唐代の壁画を見た。5世紀ごろの作品だ。この壁画を見て、私は菩薩が書かれた絵とわかった。仮に何が書いてあるかわからなくても、絵ということはわかる。 しかし1500年後ハードディスクが発掘された時、この中にたとえば私が撮った写真があるということに、気づいてくれるだろうか。

デジタルデータは0と1(正確にいえば磁気メディアの場合ディスクのある微小な領域が磁化しているかしていないか)の連続でしかない。 ディスクの記録方式やファイルシステムの構造がわからなければ、ただの丸い鉄板だ。

壁画が発見されたとき、壁画だと発掘者がわかったから意味のあるものとして扱われている。Capaの写真もそうだ。写真集団マグナムの倉庫で発見されたが、それはスライドだったから。スライドは記録メディアだが、画像専用の記録メディアだ。さらにひとつの画像が一枚のスライドとして物理的に分離されているだけでなく、スライドを光にかざせばすぐに再生される。記録フォーマットが物理的で、五感に直結しており単純だ。つまり人間が画像だと認識するまでのパスが短い。 一方デジタルで記録された画像は、一枚の画像として分離するためには、ディスクの記録方式とファイルシステムを知らなければならない。さらに画像を再生するには画像フォーマットを知っていなければならない。スライドに比べ五感に達するまでのパスが長い。 これでは千年後の人が私の写真に気づいてくれるということは期待できない。

情報の歴史的耐久性は、情報が五感に達するまでのパスで決まるように思える。デジタルデータは五感に達するまでのパスが構造上、ペーパーメディアに比べ長い。ということはデジタルデータはペーパーメディアに比べ歴史的耐久性が低いということになる。

デジタルメディアは、0と1の羅列を記録するという意味では情報の劣化に非常に強い。 ただそれは再生できるという状況でのみ意味がある耐久性である。 もしも唐代の画家がデジタルで作品を記録し、画像フォーマットと、ファイルシステム、ディスクの記録方式がわかっていれば、作品が書かれた当時の色、筆遣いが再生され、私の心を打ったことだろう。






<< Home

このblogは、http://www.argv.org/~chome/blog/noisefactory/に移転しました。

This page is powered by Blogger. Isn't yours?

Subscribe to Posts [Atom]